厚木のトラック野郎 全11話その1「一番星」

聞こえてますか?

1991年初夏。
相模川水系の支流である
中津川を渡り
愛川の丘を登ります。
仕事仲間である
ギターリストから
譲り受けたその中古車は、
ドイツ製とは名ばかりで
百メートルに満たない
その坂道を登るのに
悲鳴に似たエンジン音を
上げています。
厚木のトラック野郎こと
「一番星」は、その車を
ポンコツワーゲンと
呼んでいました。

一番星とは、
神奈川県厚木市にある
運送会社に就職した
中学の同級生で
強面のわりに
優しいところがあり
食えない僕を居候させる
気風の良い男でありました。
だけど一番星は、
「後悔先に立たず」
なる言葉をよく口に
するようになります。

甘く見ていた共同生活。
ここまで酷いとは
思わなかったのでしょう。
彼は、恰幅のいい
その体躯に反して
細かいところがありました。
それと同時に
潔癖な節もあり
部屋を散らかす僕に
まるで小姑のように
小言を発します。

いつものように
右から左へ聞き流せば、
艶々とした丸顔の
その口を
ポカーンと開けて
「もーよか~もうせーん!」
翻訳
(もういい もう知らない)
と言いながら諦めたように
その肩を
落とすのでした…続く。

同級生に感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール 「金髪丸坊主」

聞こえてますか?
順応する天才。
その食に対する
飽くなき探究心だけは、
なんちゃって
漁師の女房の名に恥じぬ
ものでありました。

そんなあなたにも、
この戸馳島で
お友達が出来ました。
家族ぐるみの
付き合いで
よく宴をひらき
家庭用カラオケを
愉しんでいました。
十八番は、
♪銀座の恋の物語。
石原裕次郎と牧村旬子
の二人で歌うそれは、
映画にもなり現在でも
カラオケ定番の
デュエット曲として
愛唱されています。

あなたたちは、
見つめ合いハモりながら
喉を鳴らしています。
見ているこっちが
恥ずかしくなって
しまいます。
けっして上手では
なかったけれど
その歌声は、
飲み会を盛り上げるに
十分な内容でした。
何より島の人たちは、
歌が大好きでした。

でも僕は知っています。
「上手なカラオケQ&A」
なる本を読んでいたことを。
あなたなりに
頑張っていたのですね。

日に日に
島に馴染んでゆく
あなたを見るのが
好きでした。
誰よりも一番嬉しく
思っていたことを
あなたは、
知っていましたか?
メイクも薄く
ファッションも
派手でなくなりました。
その代わり髪型だけは、
攻めていましたね!
「金髪丸坊主」
やっぱり
風にはなびきません。
今でこそ珍しくない
そのヘアースタイル。
産まれたての
お猿さんみたいです。
流石の父も
首を傾げるばかり…。
あなたは、どこまでも
あなたでした。

2017年 夏。
いやだった筈の
赤いハイヒール。
風になびくことのない
金色の髪の毛。
なんだか愛おしく
素敵に思えてしまいます。

船着場までの畦道を
颯爽と闊歩する
ひとりの女性がいました…。

東京の遥か向こう側。
あなたが眠る
九州熊本の地を想い
今日もまた、
西の空を見上げます…幕。

あなたに感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール 「追憶」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
去来する
堂々巡りの感情は、
大きな波となって
押し寄せて来ます。
それでも僕は、
抗い 溺れながらも
却ってくる筈もない
答えみたいなものを
探しています。

あなたにまつわる
エトセトラ。
仲が良かった四姉妹。
妹チコちゃん家族と
海水浴に行った時の一齣。
何故かあなたは、
カレーを拵えて
海に出向いたそうですね。
きっと、
張り切ったのでしょう。
タッパーにまとめた
それをみんなに振舞います。
だけれど、
食べた者たちは、
軒並みお腹を壊して
いったそうですね。
夏の日差しと温度を
読み間違えたあなた。
海水浴も台無しです。
以前日記にした
我が家のカレーが
缶詰めだったことも
これで頷けます。

こんなこともありました。
島での暮らしも
板につき始めた頃。
僕も二桁の年齢に
なっていました。
漁に出た父を待ち
岸壁に佇むあなた。
一見美しい光景に
見えるけれど、
本当に待っていたのは、
父ではありませんでした。
彼が取ってくる渡り蟹が
お目当てでしたね。
湯がくだけのシンプルな
料理法で食べるそれに
あなたは、目がありません。
とくに卵を持つメスの
渡り蟹が好物でした。
「あたしはこれさえあれば
な〜もいらん」
翻訳
(私は、渡り蟹が一番好き)
実に見事な食べっぷり。
綺麗にペロリと平らげます。

順応する天才。
その食に対する
飽くなき探究心だけは、
なんちゃって
漁師の女房の名に恥じぬ
ものでありました…続く。

あなたの笑顔に感謝して
また、明日。

 

畦道とハイヒール 「駆け落ち」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
確かにあなたは、
こうと決めると
梃子でも動かない
節があり、怒ると
手が付けられない
雷のような人でも
ありました。

中学三年生のあなた。
何を間違えたか
堅気とは縁遠い男と
恋に落ち
親の猛反対の中
卒業を待たずして
駆け落ちを断行
全国を渡り歩く…
などと、冗談まじりに
あなたは、
話していましたね。

80年代にお茶の間を
席巻した大映ドラマ
赤いシリーズでも
扱わないコッテコテの
その逸話も満更
嘘ではないようです。
あなたのお母さんが、
その時のことを
話してくれました。

当時不良だった父を
良く思って
いなかったこと。
決死の想いであなたが、
プロポーズされたこと。
それでも、
追われるような形で
熊本の地を離れ
知人の伝手を頼り
神奈川県に一時期
身を寄せていたこと。
そんな逃避行のさなか
僕が生まれたことも…。

言われてみれば、
東京の地下鉄を
何故か懐かしく
思う時がありました。
トンネルの
明かりとりに
設けられた蛍光灯。
車両の一番前で
見ていた
疾走する白い光。
おぼろげな遠い記憶。

若くして身ごもった
あなたは、どんな想い
だったのだろう。
夢みたいなものも
あっただろうに…。
ちゃんと向き合って
話してこなかった。
会えるうちに
会ってさえすれば…。

去来する
堂々巡りの感情は、
後悔という
大きな波となって
押し寄せて来ます。
それでも僕は、
抗い 溺れながらも
却ってくる筈もない
答えみたいなものを
探しています…続く。

あなたの想いに感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール 「姉妹」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
だけれど、
目には見えない
強靭な頑固さを持った
ひとだったと
一つ年下の妹チコちゃんが
語ってくれました。

こうも、
続けてくれました。
よくある
姉妹ならではの口喧嘩。
ちょっとした
電話での口論から
はじまったそうです。
つい姉である事を忘れ
棘のある物言いに
なってしまった
妹のチコちゃん。
あなたは、
プツンと切れて
しまったそうですね。

「おっとろし~
何ね あんた !
うちは あんたの
ねーちゃんばい
そん口ん聞き方は何ね
ち~と敬語で喋りなっせ!」

(通訳)
おっとろし~とは
熊本地方特有の
怒った時の口ぐせ又は威嚇
喧嘩前の狼煙の
ようなもの…。
以下割愛↓
「私はあなたの姉なのよ
端ないその言葉は何なの
もう少し姉を敬いなさい」
と凄い剣幕で電話を
叩き切られたそうです。

その時のことを
笑いながら
話してくれました。
確かにあなたは、
こうと決めると
梃子でも動かない
節があり、怒ると
手が付けられない
雷のようなひとでも
ありました…続く。

あなたの姉妹に感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール 「誕生」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
赤いハイヒールを履いた
あなたから 少し離れた
僕を見つけました。

2017年 東京。
あなたをなくして
三年が経とうと
しています。
若い頃のあなたは、
どんなひと
だったのだろう。
青春時代を紐解きます。

since1948〜2014
昭和二十三年の
世の中は、
高度経済成長の
好景気に沸き
男性はリーゼント
女性はロングスカート
といった
ニュールックが流行し
岡晴夫の
「憧れのハワイ航路」
笠置シズ子の
「東京ブキウギ」
などの歌謡曲が
ヒットを飛ばした
時代でもありました。

肥後ノ国 八代。
そんな昭和の彩りの中
四姉妹の次女として
稲穂香る季節に
あなたは誕生しました。

熊本県 第二の都市
八代の街は、
日本三大急流のひとつ
球磨川が分流する
三角地帯北部に
位置していました。
豊富な水に
恵まれたことから
い草の生産に栄え
且つその水の
流れの先には、
不知火海があり
太刀魚の漁場としても
名を馳せた立地のよい
港町でもありました。

四姉妹の中でも
一番小柄で
控えめな子だった
というあなた。
だけれど、
目には見えない
強靭な頑固さを持った
ひとだったと
一つ年下の妹チコちゃんが
語ってくれました…続く。

あなたの誕生に感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール 「悲しい目」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
こんなエピソードが
ありましたね。
園の遠足で長崎の島原に
行った時のこと。

1975年 雲仙記念撮影。
楽しい旅の思い出を
写真に残す大切な
儀式の筈でした。
観光地として賑わいを
みせる雲仙普賢岳。
ひな壇に立ち並ぶ
親子と引率の先生たち。
嫌な予感はしていました。
写真は苦手です。
魂が抜かれます。
只でさえ
笑顔など作れません。

そんな我が家の
事情など知る由もない
カメラマンが緊張を
解そうとします。
無理もありません。
彼は仕事を全う
しているに過ぎません。
だけれどその言葉が
トドメを刺しました。
「大好きなお母さんの
手を繋いで…」
結果 僕を大胆な行動に
向かわせます。
シャッターを切る
寸前のところで
あなたの手を
振り解いてしまいました。
あの時の「悲しい目」を
今でも覚えています。

2014年 冬
あなたを失い
アルバムを整理します。
白いパンタロンに
風になびくことのない
金色の髪の毛。
赤いハイヒールを履いた
あなたから少し離れた
僕を見つけました…続く。

色褪せた写真に感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール「願い」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
そんな悩める
園での暮らしの中で
どうしても
気になる女性が
出来てしまいます。
幼稚園の先生でした。

犬の大五郎以外
興味を抱かない
僕にとって
はじめてのことでした。
いつも笑顔で優しい
彼女は、控えめな物腰に
化粧も派手なもの
ではなく
限りなくナチュラルで
爽やかなひとでした。
しかも、黒髪が
風になびいています。

それは、僕にとって
大切なことでした。
アフロばりの
スズメの巣のような
髪型のあなたとは
大違いです。
そよ風を
ものともしない
その金色の髪の色は、
針金のようで
とても不自然です。
何よりも
自然体であることが
あなたに対する密かな
僕の「願い」でした。

こんなエピソードが
ありましたね。
園の遠足で長崎の島原に
行った時のこと…続く。

遠き日に感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール 「目に見えないもの」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
小さくてもそんな
感情が芽生えたのは
確かにあの頃でした。

あの時のことを
どう表現したら
いいのか分かりません。
だけど、
今こうして振り返って
みればそれは、
園に通う子ども達と
何ら変わることのない
「僕の甘え方 」のように
思えてなりません。

僕なりに示した
唯一の反抗であって
目には見えない
精一杯の愛情表現…
ただ、それだけのこと
だったのかも知れません。

そんな悩める
園での暮らしの中で
どうしても
気になる女性が
出来てしまいます。
幼稚園の先生でした…続く。

思い出に感謝して
また、明日。

畦道とハイヒール 「変わった子ども」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
1975年の春は、
僕の嘘から
はじまるのでした。

あなたは、僕のことを
「変わった子だね」と
よく言っていました。
僕にしたら
どっちが!です。

母親に甘えることが、
当たり前とされた
子ども達の理りの中で
確かに言われてみれば
僕の方も少し
違っているようでした。
ひらひらの服を着て
手を繋ぐことや
買い物に
付き合わされることも
とても
窮屈で苦手でした。
なんでそうなって
しまったのか…。
それは、
園に上がる前の環境に
原因があるのかも
知れません。

共働きの両親のもと
一日の殆どを僕は、
ひとりで
過ごしていました。
考えたあなたは、
僕に犬を宛てがいました。
番犬の意味合いも
あったのでしょう。
ひとりでいる事に慣れ
何よりそれが当たり前に
なっていく僕を
心配しての事だったと
今では思えます。
でもあの時の僕には
あなたの想いに
応えるすべを
持ち合わせては
いませんでした。

そんな生活の中で
唯一心を許したのは、
その共に育った
シェパード犬の
大五郎でした。
彼だけが救いでした。
異なる動物同士とはいえ
垣根をこえた関係に
言葉はいりません。
同時に強い安心感を
彼に見出してもいました。

そして僕は、
あなたに対し
子どもの特権を放棄し
代わりに無言と云う
武器を手に入れました。
「五歳のあんたが」と
思うでしょうね。
だけれど、小さくても
そんな感情が
芽生えたのは、確かに
あの頃でした…続く。

あなたの想いに感謝して
また、明日。