🍁最終章/55話「それから」後編
聞こえてますか?
昨日の続き…。
あれからの僕らは、
離れたり戻ったりを繰り返し
その先にあるものに目を伏せて
次第に努力さえも
しなくなって行きました。
そして
それからの僕たちは、
四度目の夏を迎えることは
なかったのです。
1995年 夏の終わり。
その年号とその季節が
二人のピリオドを教えて
くれたのかも知れません。
彼女が拵えた店内の雰囲気を
愉しみながら僕はお酒を
美味しくいただきます。
錦糸町に根を張り女手ひとつで
のし上がって来た彼女の剛と
生きざまを感じずにはいられません。
その日 遊びに来ていた
彼女のお母さんも元気でした。
一つ違いの妹は、
姉を助けるように
お店の切り盛りで一生懸命です。
母…姉妹、家族。
それはとても
美しい光景であるのでした…。
【回想1】
坂道をのぼり出す頃に
彼女は、手回しでドイツ車とは
名ばかりの車の窓を開けました。
東京湾に近いそこは
海風がよく通り
潮の香りと夏の到来を
教えてくれたりもします。
7話「船橋橋」より
【回想2】
助手席に座る彼女は、
壊れた空調設備の代わりに
手回しで車の窓を開けました。
夏の香りを招き入れるように
彼女の長い黒髪は、
その風に吹かれていました。
1話「百草高台」より
さっきまでの僕と彼女は、
こうして乾杯する迄に
別々の道を歩んできました。
互いに色々あったのは、
目を見ればわかるものです。
「体は大丈夫?」
すっかりそんな会話が成立する
年齢になってしまいました。
相変わらず彼女の声は、
どこか自信なさげで 儚くも
僕の耳には心地よく響いています。
前に出ようとはしないタイプの彼女。
それは、年齢と様々な試練を重ね
その謙虚さと姿勢の良さを
さらに増しているように思えました。
【回想3】
僕は、歌でも
聴いている気持ちで
その声に耳を傾けました。
それは、とても心地よく響き
僕の心にゆっくりと
降りて来るのでした。
夜明けが、
この屋根裏部屋にも
初夏の風を運んでくれています。
そして僕はまた、何本目かの
煙草に火を点けるのでした…。
5話「屋根裏部屋」後編より
そして、二杯目のグラスを空けて
僕と彼女とその家族は、
あらためて乾杯をするのです。
2017年12月11日
今日は彼女の誕生日。
あの百草高台の
屋根裏の夜から二七年が
経っていました…最終話へ続く。
君の家族に感謝して
また、明日。
🍁最終章/最終話「船堀橋の風」
透明度を増した十二月の空は、
その沈みゆく夕日も黄金色に
キラキラと輝いていました。
新大橋通りと船堀街道の交差点。
左手に見える船堀タワー。
ここでの信号待ちは、
いつだってあの頃の想いでを
連れて来るようです。
あの時よりも幾らか大きい車の
クラッチを踏み、
ギアーをファーストに入れました。
それから僕は、
肌寒い季節にも関わらず
窓ガラスをいっぱいに開けて
ゆっくりとそこへと続く坂道を
のぼるのです。
船堀橋に吹き抜ける
あの風を感じるために…おわり。
君に感謝して
また、明日。