聞こえてますか?アーカイブ 「渡し舟 」総集編

聞こえてますか?
「海に落ちた男」
中学に上がったばかりの僕は、
そう呼ばれていました。
市町村の卒業生が集まる
その中学校は、
宇土半島の三角と云う
港町に在りました。
渡し舟を利用するのは、
島の者だけで登校中
海に落ちたのは
僕が始めてでした。

箱舟とも呼ばるそれが、
ゆっくりとバック。
これに乗らなければ遅刻。
既に助走を
つけているから大丈夫。
跳べる!
僕は直感しました。
少し大きめの学ランを身に纏い、
真新しい肩掛け鞄を抱え、
利き足に渾身の力を込めて
ジャンプ…。

海の中はキラキラしていました。
太陽の光が、港町である
この海の底にも届くのだと
感心するくらいです。
しかし何故に落ちたのでしょう…。
海中でも幾らか
冷静だった僕は考えます。
渡し舟の舳先に乗った感覚は
確かにこの左足が
知っています。
「届いていたのになぁ」などと
思いながら平泳ぎで
上がろうとするのですが、
何か勝手が違います。
重いのです…。
教科書を詰め込んだ肩掛け鞄。
「あぁ〜」
船長は、海上に頭を出した
僕を認めると笑いながら船首を
三角港へと向けました。
僕は、プカプカと浮いた
帽子を掴み
陸(おか)に向かって泳ぐのでした。

僕がその後どうなったのか、
あなたが一番知っていますね。
長い一日の始まりです。
着替えを済ませた僕は、
学校に向かいます。
既に担任の先生から
クラスメートに
報告があったらしく…。
いいえ、報告する迄も無く
朝一番で噂になっていたと
思われ…。
二時限目から合流した僕を
皆がクスクスと笑います。
無かった事にして
知らぬ顔を決め込んでも
濡れた教科書とノートは
正直です。
給食前には薄っすらと、
塩が吹き始めます。
昼休みになれば学年関係無く、
海に落ちた男を
見にやって来ます。

小柄な僕が、鞄の重さを
計算に入れていなかった報い…。
熊本地方の方言で
程度を知らない人の事を
「勘無し」と云うそうです。
後に僕は、その称号を
与えられる事となります。
確かにあの時、
渡し舟の舳先を捉えていたのに!

僕の社会と国語の教科書は、
一年間
カッピカッピのカッパカパ。
二年生になる頃には、
海に落ちたことなんて
どうでも良くなっていました。

渡し舟に感謝して
また、明日。

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