for you…summer 33話「赤い口紅」

for you…summer
33話「赤い口紅」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
何気に漏れた一言なのに…。
女性の思考回路その仕組みに
舌を巻く他ありません。
手料理なんてもっての他…。
こうして一緒にいるだけで
充分であるのに…。
女というのは、男の他愛もない
軽口にも反応を示す
生き物なのかも知れません。

国道246号線から
渋谷駅前交差点Y字路を
道なりに右へ…。
名前の由来ともなった
その通り沿いに
上方随一とも呼び声の高い
お洒落な街があります。
当時、六本木ヒルズなどの
建築物は存在しておらず
ロアビルやアマンド前と云った
通り名がこの街の
象徴でありました。

Mの知り合いが、カフェを
オープンするとの一報に
開店祝いの大義名分を抱え
縄張りの三宿より
馳せ参じたふたり…。
三つ編みアフリカーナ
花の六本木デビューであります。

はじめて見る彼女のmake up…。
その唇に引かれた
「赤い口紅」は、溶錬な色気さえ
感じさせるもので
清楚を身に纏った
お嬢様はそこにはありません。
エリック・クラプトンの
♪wonderful tonightを
彷彿とさせるその
ドレスアップしたMの姿に
思わず息を呑むのでした。

それに比べて…。
いくら六本木仕様にしたとはいえ
アフリカーナのファッションは
如何せんこの街にも不具合で…。
キャンパスの上 つまりは
三原色を度外視した
僕の出で立ちは、
どうにもこうにも
溶け合いません。
Mと吊り合わない自分自身に
否応ない劣等感を
噛み締めるばかりでありました。

蛙の子は蛙。
やはり遺伝なので
ありましょうか?
あの頃が蘇ります…。

シルビヴィ・バルタンを
好んで聴いていたあなたは、
なんちゃってパリジェンヌ。
何処を真似て何を間違ったのか
何もそこまでしなくても!
と云うくらい塗り重ねた
白いキャンパスにあなたは、
ルージュを引きました。
まるで、
まんが日本昔ばなしに登場する
お公家さまのようです。
TPOを完全に度外視した
あなたの出で立ちは、
当時 お茶の間を賑わした
地球外生命体
エイリアンに違いないと
子供ながらに疑ったものでした…。
「畦道とハイヒール 」
episode2 告白〜より

完全に浮き捲くっている僕を
彼女はエスコートするように
慣れた手つきでopenしたばかりの
その扉を開けるのでした…続く。

素敵な夜に感謝して
また、明日。

for you…summer 32話「カルボナーラ」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
息を潜めていた虫たちの
優しい声がしました。
いつの間にか彼らにとっての
それは止んだようです。
雨の匂いを含んだ夏の夜…。
僕はもう一度
彼女を強く抱きしめるのです。
夢じゃないことを
確かめるように…。

国道246号線 玉川通り
三宿の交差点を左に折れて
暫く行けば、
メキシコ料理店の姉妹店
ラ・ボエムがあります。
並木道を見渡せるような
テラス席の奥に
メインの客席があり
その地下には、
贅沢にくり抜かれた
池が造られていました。
僕たちは、そのスペースを好み
はじまったばかりの恋を
愉しむのでした。

それまで、スパゲティーの
言い回しでしか表現出来なかった
残念なアフリカーナ…。
「パスタ」と照れずに
言えるまでに暫しの時間が
必要でありました。
数あるメニューの中でも
カルボナーラ一本槍の僕に
Mが言うのです。
「たまには違うのを食べたら?」
最初のデートでオーダーした品を
大事にする肥後もっこす。
だけれど、そのソースに
強烈なインパクトを
覚えたのも確かでありました。
後を引くその味に
胃袋もやられたようです。

「これ家で食べられたら…」
そう言う僕に
先を見越したような
Mの答えが返って来ました。
「料理は苦手だから…」
あの夏の夜の夢から
彼女は頻繁に川辺の家へ
遊びに来るように
なっていました。
だけれど、手料理はお預けで
いつも外食であったのです。

何気に漏れた一言なのに…。
女性の思考回路その仕組みに
舌を巻く他ありません。
手料理なんてもっての他…。
こうして一緒にいるだけで
充分であるのに…。
女とは、男の他愛もない軽口にも
反応を示す生き物なのかも
知れません…続く。

ラ・ボエムに感謝して
また、明日。

for you…summer 31話「夏の夜の夢」後編

聞こえてますか?
昨日の続き…。
Mのリクエストのために
草臥れた中古車は、
湾岸方面に向けて走るのです。
何度も往来を繰り返した道…。
雨のレインボーブリッジを
僕たちは、
はじめて渡るのでした…。

東京は江戸川。
深夜に降り続く雨に
夏の虫たちは
息を潜めているようでした。
川辺に建つ家もその色をなくして
ドアを照らす街灯の火だけが
鮮やかに揺れていました。

お台場ドライブを愉しんだ後…。
どちらからとも無く切り出した
これから…。
いつもより何処と無く
はしゃいでいる様子だったMも
もうひとつの橋を渡る時には
沈黙を守っていました。
東京湾岸道路 国道357号線。
その荒川河口橋から見える
葛西臨海公園の観覧車。
雨に煙るその灯を眺めながら…。

草臥れた中古車を
駐車場に停めた僕と彼女は、
雨を避けるように小走りで
玄関先のアプローチに
向かいます。
そして僕は、その灯りを頼りに
ドアノブに鍵を
差し込むのでした。

しんと静まり返った
緑色のドアの中…。
髪を拭くためにと
渡したバスタオルは、
フローリングの床に
落ちたまま…。
そして、濡れた二人の服も
小さな水たまりを作って
未曾有さに
転がっていました…。

まだ、乾き切れていない
髪の毛と目を閉じたままの
Mは丸まった子猫の体制で
小さく僕の腕の中に
収まっています。
本当に眠っているのかも
知れません。

息を潜めていた虫たちの
優しい声がしました。
いつの間にか彼らにとっての
それは止んだようです。
雨の匂いを含んだ夏の夜…。
僕はもう一度
彼女をきつく抱きしめるのです。
夢じゃないことを
確かめるように…続く。

夏の夜の夢に感謝して
また、明日。

for you…summer 30話「夏の夜の夢」前編

聞こえてますか?
昨日の続き…。
涙を誘うテーマ曲が
フェードアウトしてDJの
アナウンスに変わりました。
ゆりかもめ芝浦アプローチ。
僕は、ループしたその橋の
形状に身を委ねるようにして
ハンドルを廻すのです。
僕はいつまで…
待てばいいのでしょうか…。

「コンコン」と窓を叩く
音がしました。バイト終わりの
いつもの帰り道。
雨のために車を止めて
来るかも分からない人を
待っていた並木通り…。
折りたたみ式の
赤い傘を持ったMの姿が
そこにはありました。
それから彼女は、
フロント部分をぐるりと回り
ドイツ車とは名ばかりの
助手席のドアを開けました。

いつだってそうでした…。
会えないだろうと
思う時にMは現れ…
待ちに待った時に限って
彼女はいないのです。

ここ数日の
僕の苦悩など知る由もなく…。
隣の席には
何事もなかったかのような
Mの笑顔がありました。
雨を恨みます…。
久しぶりに会えたと云うのに
車であったら
「下馬散歩」になりません。
あの角を右に折れたら
バイバイなのです。

だけど、Mが放った言葉に
僕の考えなどすぐに
吹っ飛んでしまうのでした。
「ドライブがしたい」
なんと素敵な響きなのでしょう…。
手のひら返しのアフリカーナ。
突然の雨に感謝の気持ちで
いっぱいでした。

Mのリクエストのために
草臥れた中古車は、
湾岸方面に向けて走るのです。
何度も往来を繰り返した道…。
雨のレインボーブリッジを
僕たちは、
はじめて渡るのでした…続く。

夏の雨に感謝して
また、明日。

for you…summer 29話「ニューシネマ ・パラダイス」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
テレビの中の彼は、
シュッとした商社マンで
普通の髪型をした好青年。
そして現実は、昼と夜の
逆転した生活を送る
髪を洗えない
時代遅れのアフリカーナで
あるのでした。

約束をしている訳では
ないのだけれど…。
今日も僕は、海岸通りから
レインボーブリッジを渡り
彼女のいる三宿へと
車を走らせるのです。
濡れた路面は、
対抗車線のヘッドライトに
反射して僕の視界を遮りました。
銀色の月を隠した
突然の雨雲は、
東京湾に広がる風景を
一変させました。

点けっぱなしのラジオから
懐かしい音楽が流れています。
それは、劇場まで足を運んで
鑑賞したイタリア映画
「ニューシネマパラダイス」の
テーマ曲でした。
ヒロインに想いを寄せて
彼女の部屋の扉が開くのを
ひたすら待ち続ける
主人公トト…。
ピンとこなかった当時…。
だけれど、
今になって身に染みるのです。
物語の中に出てくる
ある男の逸話…。
雨の日にも風の日にも
愛する女性を待ち続け
最後の一日になって
何故か待つことを
止めてしまった男の話。
彼の気持ちが少しだけ
分かる気がしました…。

涙を誘うテーマ曲が
フェードアウトしてDJの
アナウンスに変わりました。
ゆりかもめ芝浦アプローチ。
僕は、ループしたその橋の
形状に身を委ねるようにして
ハンドルを廻すのです。
僕はいつまで…
待てばいいのでしょうか…続く。

優しい音楽に感謝して
また、明日。

for you…summer 28話「愛するということ」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
「避けられてるのかな…」
テレビの音と虫の声は、
そんな意識の中で薄れて行き
やがてそれは
弱くなってゆくのでした…。

夏の日差しはじりじりと
地面の水分を奪い取り
庭の花たちは、Uの字を
逆さまにしたように倒れ
力なく重なり合っていました。

焦点の合わない視力で
ブラウン管の物体を
目だけで追っていました。
どうやら夕方にやる
ドラマの再放送の様です。
俳優 緒方直人が、
雨の中でずっと
誰かを待っています。

僕は、夏の声を掻き消すように
リモコンのボリュームを
上げました。
ひとりの男が「好きだ」の
一本槍で気持ちを伝え
それに翻弄されながらも
小泉今日子扮する主人公が
心を揺り動かされてゆく
ストーリー。
それは「愛するということ」
と云うドラマでした。

そういえば、
名作「男子7人夏物語」に
ときめきを覚えたのも
放送の一年後でありました。
高校時代 夕方のアルバイト前に
時を惜しむように観ていた事が
思い出されます。

世間の潮流に一年の遅れを取る
再放送のアフリカーナ。
観ている内に
いくら飲み込みの悪い僕でも
ザワザワし始めるのです。
今の自分に似ているような…。

それからの僕は、
ウィークデイの夕方から
目が離せなくなりました。
だけれど、ドラマはドラマ…。
テレビの中の彼は、
シュッとした商社マンで
普通の髪型をした好青年。
そして現実は、
昼と夜の逆転した生活を送る
髪を洗えない
時代遅れのアフリカーナで
あるのでした…続く。

夕暮れの再放送に感謝して
また、明日。

for you…summer 27話「夏の虫」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
眠りから目覚めて
一番に想い浮かぶ顔は
その人にとって
一番大切なひと…。
それは下馬散歩のはじまりから
より強く僕の心を
支配してゆくのでした。

夏の虫たちは、
まるで疲れを知らないように
午後の日差しが傾いても
喧しく鳴いていました。
二階にある寝室から
リビングに降りて
テレビのリモコンを探します。
それから、冷蔵庫の中の
ミネラルウォーターを取り出し
庭に面した窓を開けました。
点けっぱなしにした
テレビの音と夏を象徴とする
その鳴き声は、
ステレオタイプとなって
この川辺の家に響き渡りました。
起き抜けの僕には騒音以外の
何ものでもありません。

眠りから目覚めて
一番に想い浮かぶ顔は
その人にとって一番大切なひと…。

庭の乾き切った土を眺めながら
ミネラルを飲み干しました。
花に水をやらなきゃと
ぼんやり思いながらも
目覚めたばかりの意識は
彼女だけの物になっています。

あれから、Mと会えない
日が続いていました。
時間が合わなかったり、
リハーサル終わりメンバーと
飲みに行っても休みだったり…。
昨日、思い切って彼女の家に
電話をしてみたけれど
案の定 留守でした。

「避けられてるのかな…」
テレビの音と虫の声は、
そんな意識の中で薄れて行き
やがてそれは
弱くなってゆくのでした…続く。

夏の声に感謝して
また、明日。

for you…summer 26話「眠りから目覚めて」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
Mは、そんな生活を送る僕を
まだ受け入れては
いない様でした。
下馬散歩の中でも
時折 水商売の話題になると
彼女は決まってその表情に
暗い影を落とすのでした…。

その日Mは、メキシコ料理店に
休みを貰っているようでした。
ガラス張りの電話ボックス。
今では、殆ど見る事のない
公衆電話の箱の中。
緑色の受話器を置くのと
同時にテレホンカードが
返って来ました。
「ピーピーピー」と
Keyの高い電子音…。
角張った顔のような箱から
煩さく舌を出したそれを
素早く抜き取りました。
それから、Mの家に電話を
入れようとして…
やっぱり止めました。
待ち合わせをしている訳では
ないのだけれど…
心配してしまうのです。
果たして僕にその権利が
あるのでしょうか…。

歌舞伎町の仕事から
川辺の家に帰宅した僕は、
留守番機能の点滅を
いの一番に確認するのです。
時計の針は、
朝の8時を指しています。
Mからのメッセージは
ないようでした…。

眠りから目覚めて
一番に想い浮かぶ顔は
その人にとって
一番大切なひと…。
それは、下馬散歩の
はじまりから
より強く僕の心を支配して
ゆくのでした…続く。

目覚めに感謝して
また、明日。

for you…summer 25話「ピヨピヨピヨ」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
さっきより傾いた月は、
その色彩を銀色に変えて
西の彼方に浮かんでいました。
Mの素顔…悲しげな眼差し…。
見上げたそれに彼女を重ねて
「あの人…」と呟きました。
これより先にそれは、
僕を苦しめることになります。
それを知るにはもう少し
時を待たなくてはなりません。
月のひかりは、まだ
僕の帰り道を優しく
照らしているのでした…。

三宿の駐車場に
停めて置いたドイツ車とは
名ばかりの中古車。
出勤時間を大幅に
過ぎているようです。
それでも、
心は晴れやかでした。
Mが自身の話をしてくれたこと。
「そして、あの人」…。
何より今日は、
下馬散歩に道草の
おまけ付きであります。
何の不満があるのでしょう…。

草臥れた中古車は、
以前より増して
空調設備の具合が悪く
代わりに手回しで
その窓を開けました。
BAR「ピヨピヨピヨ」の
遅刻は、10分罰金千円…。
歌舞伎町に着く頃には
二時間の遅れが予想されます。

名前からして怪しいBAR…。
時給が高いからと勤め始めた
その店には、
役者を目指す者…お笑いの
世界に席を置く者。
様々な若者が働き、又は
客として足を運ぶ
隠れ家的お店でありました。
カクテルの「カ」の字も
知らないアフリカーナ。
面接もハッタリで受かった
ようなものでノリ(勘ひとつ)で
何とか乗り切っていました。

歌舞伎町の片隅で
ひっそりと灯りをともす
穴場的な店。そんな路地裏の
アンダーグラウンドであったから
三つ編みアフリカーナでも
扶持を得ることが
出来たのかも知れません。
メンバーであるダンサー
ドレッド筋肉マンと
2ブロックちょんま頭の彼とも
そこで知り合い仲間の契りを
交わしたのでありました。

Mは、そんな生活を送る僕を
まだ受け入れては
いない様でした。
下馬散歩の中でも
時折 水商売の話題になると
彼女は決まってその表情に
暗い影を落とすのでした…。

ピヨピヨピヨに感謝して
また、明日。

for you…summer 23話「緑色のドア」

聞こえてますか?
昨日の続き…。
僕は歩幅を緩めたい気持ちで
いっぱいでした。
立派な門構えの前まで来たら
お別れです。役目を終えた
淋しいアフリカーナは、
バイバイと手を振って
今来た道をとって返すのです。
そののひと時を
噛み締めながら…。

下馬散歩の後は、
勤務先である新宿歌舞伎町
のBARに向かいます。
その当時の僕は、
深夜に働き昼間寝るといった
一般の人とは真逆な生活を
送っていました。
雑居ビルから出された残飯を
カラスが突っつく頃に
一日の終わりを迎え
「緑色のドア」が目印の
自宅に帰るのです。

東京は江戸川。
その支流である川辺に
特殊な色使いをした
テラスハウスがありました。
都営新宿線一之江駅から
徒歩で20分。
東西線 葛西駅からでも25分…。
歩くには不便な場所にも拘らず
そこを寝床に決めたのには
理由がありました。

音楽以外たいして興味を
示さないアフリカーナにも
ガーデニングといった
唯一の趣味があり
日当たりの良い小さな庭が
あるのも大きな要因でした。
だけど、何よりもその印象的な
「緑色のドア」に魅せられて
この川辺の家の鍵を
手にしたのでありました。
せちがない都会での生活で
その扉の向こうに小さな夢を
見いだしていたのかも
知れません…。

そこには、コンクリートで
整備された駐車場も付いており
車通勤には有難いものでした。
日課になりつつある下馬散歩。
そして、今日も僕は草臥れた
中古車を走らせるのです。
海岸通りからお台場の
レインボーブリッジを渡り
一路Mのいる街を目指して…続く。

川辺の家に感謝して
また、明日。